崩れんといてほしい夜──Don’t Fall Apart On Me Tonight と巣鴨の深夜

Bob Dylan / Infidels (1983)

Just a minute before you leave, girl…
歌は、その一言でいきなり胸の奥を掴んでくる。
あと一分だけでもいいから、ここに残ってほしい──
そんな願いから始まる曲が、
“Don’t Fall Apart On Me Tonight”。

1983年のディランの声は、
若いころの激情とも違うし、
のちの枯れた深みとも違う。
“弱さを隠さへん大人の声” をしている。

巣鴨のミランで、
営業後の店に残る熱をゆっくり冷ましながら聴くと、
この曲はやけに刺さる。


扉に手をかけた「その瞬間」の歌

Just a minute before you touch the door…
扉に手を触れた、その一瞬をとめようとする歌。
呼び止めたい気持ちは山ほどあるのに、
うまく言葉にならへん。

ディランはその “何も言えへん瞬間” を、
こんなに的確に掬い上げてしまう。

店の椅子を逆さにして、
グラスを洗って、
最後のBGMを落としたとき、
ふと同じ感情がよぎる夜がある。

「ちょっとだけここにいてくれ」
そう言いたい相手がいる夜。


通りは“希望を無くしたバイパー”であふれている

曲の中で、ディランはこうつぶやく。

the streets are filled with vipers who’ve lost all ray of hope

希望を失ったバイパー(毒ヘビ)で
街が満ちている。
そんな比喩を軽く投げておきながら、
その直後に

You know it ain’t even safe no more in the palace of the Pope

と続ける。
世界のどこにも絶対の安全なんてない──
そんな“やるせなさ”がにじむ。

巣鴨の商店街も、
夜が深まるとふっと孤独の影が伸びる時間がある。
その空気と、この歌の湿度はよく似ている。


「昨日は記憶で、明日は思った通りにならん」

サビの核心はここや。

Yesterday’s just a memory
Tomorrow is never what it’s supposed to be

昨日はもう“記憶”でしかなくて、
明日は思っていた形とは違ってしまう。

だからこそ、
Don’t fall apart on me tonight
──今夜は崩れんといてほしい、と歌う。

未来があやふやな夜ほど、
人は誰かの手を必要とする。


うまく話せへん男の、正直な祈り

I ain’t too good at conversation, girl…
自分は会話が得意やない、と認めてまう男の弱さ。
でも、その弱さが正直すぎて、
なんか胸に残る。

If I could I’d bring you to the mountaintop
And build you a house made out of stainless steel

そんな鉄の家なんて現実には建てへんくせに、
“あなたを守りたい気持ち” を
なんとか言葉にしようとしたら、
こういう奇妙に美しい比喩になるんやろう。

恋愛の歌というより、
“弱さをさらしてしまう夜の歌” やと思う。


絵画の中で動けん男の話

ディランが描くもう一つの名シーン。

It’s like I’m stuck inside a painting that’s hanging in the Louvre
My throat starts to tickle and my nose itches, but I know that I can’t move

ルーヴルに飾られた絵画の中で、
喉がむずむずして、鼻がかゆくても、
動くことができない男。

笑えるようで、
実はめちゃくちゃ深い。

“目の前の現実に手が届かへん夜” のことを
こんなにおかしく、そして悲しく描ける人は、
世界中でもディランだけかもしれん。


あの頃の二人をふと呼び戻す

Do you remember St. James Street
Where you blew Jackie P.’s mind?

突然、具体的すぎる記憶を持ち出してくる。
失われた青春とか、
昔の二人の空気とか、
そういう“取り返せへん時間”が
ふっと部屋に戻ってくる瞬間。

どんな恋でも、
こういう“固有名詞の思い出”を持ってる。
それを出されたら、
もう勝たれへん。


もう崩れんといてほしい。今夜くらいは。

No more affection that’s misplaced, girl…
間違えた愛情はいらん。
罠も爆弾もいらん。
表面の華やかさも、いらん。

ただ今夜、
あなたが崩れんといてくれたら、
それだけでええ。

巣鴨のミランで、
灯りを落とした深夜に聴くと、
この歌の “弱さの強さ” がやわらかく沁みる。

人間は、
誰かが必要な夜がある。
そして、自分でも気づかないうちに、
誰かに必要とされている夜もある。

ディランはその真ん中を
たった一曲で射抜いてくる。


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Text by Bob MyLan
巣鴨のワインバー店主より